■夕陽のガンマン
前投稿の流れから、【夕陽】をテーマに。
高校時代の映画の話である。
「荒野の用心棒」
「夕陽のガンマン」
「続・夕陽のガンマン」
「新夕陽のガンマン」……、一連の興行が楽しみになっていた映画初期時代。
言わずと知れた「マカロニ・ウェスタン」。
高校時代に良く観た映画シリーズ。
決闘の「間・風・砂ぼこり」、突然奏でられる悲しく錆びた音楽、素早いガンサバキ。倒れる悪、で葉巻の煙。
馬の雄叫び、激しい撃ち合い、屋根の上からの落下……。
鋭く迷いのない「眼光」、眉間の刻まれた皴、汗と砂のにおい……。
何があっても動じない……渋さ。鼻筋(鷲鼻)。無精髭。
そして、ギラギラと照りつける夕暮れの太陽……。
荒野と決闘に【夕陽】はつき物になった、否、【夕陽】に荒野と決闘がついて回った。
学んだこと:悪を裁くのが正義や政治ではなく、沈む太陽がお似合いの「流れ者」だった。
私の退屈でcheapでやせ細った高校下宿生活を心配してくれた同級生。彼の家(高校の学校長)でカレーライスをご馳走してもらい、書斎に溢れる本に刺激をうけ、町で唯一の小さな劇場の招待券を握りしめ、二人で足を運んだ映画館。その映画館を出るときは、すっかりニヒルでクールな肩で風を切るイーストウッドやクリーフになっていた二人(笑)。模擬試験が終わると彼は私に忍び寄る「どうだった?」。唯一、彼に対抗できるからと、勝手に思ったものだ💦。ちなみに、彼は、東北大学に進んだ当時の親友だ。仙台に遊びにいくと、戦前からの建物に住んでいて、昇降のたびにギシギシ鳴り響く階段の渋い音がずっと耳に残っていて、とてもマカロニ・ウエスタンっぽい印象だった(笑)。今日もギシギシ鳴っているんだろうなぁ、そんなことをぼんやり考える日も私のなかにあった。貧乏というより質実剛健。土地柄、松尾芭蕉や吉本隆明を語ったり、宮沢賢治も登場したか……女性の話もしたなぁ~、帰省寄り道の仙台時間。彼と私で文化祭でシャガールの山車を制作して賞をもらったりしたなぁ。今は昔。
テレビを見る環境もなく、娯楽の少ない手紙時代だったので、こうして鑑賞したクリント・イーストウッドやリー・ヴァン・クリーフ(サントリーオールドのCMが日本では馴染であろう)には鮮烈な印象が残ることになる。