■青函連絡船
ジャンジャンとけたたましく銅鑼(ドラ)が鳴り響くと出航だ。船酔いせずに大広間でゴロリと眠りにつくことができるから、大概は夜の連絡船を狙って乗船した。また、朝日に照らされた大沼公園の美しさに出会えるからでもある。
真っ暗で深く黒い津軽の海は不気味だ。母親が私を出産する2日前の海難事故の大惨事をはなしてくれたことがあった。停電のなかでの出産だったから、ラジオから流れる事故の悲惨な情報が印象深かったようだ。風の強い出航のときは、幼心に焼き付いた昔の台風15号・洞爺丸他4隻の海難事故が脳裏を過ることがある。が、ほどなく、船内で時間をつぶすことを発見して朝を待つ。
あるとき青函連絡船のなかにある大浴場にいってみた。確かにお風呂だ。が、通常のお風呂とは違っていた。左右に船が揺れるたびに、首まであったお湯の高さがおへそあたりまで下がる。上下にお湯が不規則に揺れるため、だんだん気持ち悪くなってくる。お風呂酔い。そうなるとお風呂からでて、広間の寝袋に入る。このような所作は、学生ならではの大雑把な行為なのかもしれない。
帰省時に後輩がいっしょに家に遊びにきたときの事。私は札幌で生ビール飲み放題のマイ記録を作った。ジンギスカン食べ放題、ビール飲み放題。凄い甘言(キャッチコピー)だ。2時間だったか~。学生には充分過ぎるほどに魅力的なプログラムだ。羊々亭。名前からして勇ましい。ジンギスカンのような油が強いお肉にはビールがお似合いだ。ヘルメットのような形をした鉄鍋で焼くのだが、鍋の縁のたまり部分にもやしを入れて合わせ食べる食文化だ。
自身の年齢と同じ21(杯)を数えたとき、時間の制限がきた。前日、盛岡でワンコ蕎麦を食べたが、その記録と左程変わらないから、ビールの力のすごさがわかる。
あれ以来、長いこと酒飲みをやっているが、この記録を破ることはできない。恐らく、この先もそうだろう。中ジョッキといえども、そう飲めるものではない~。
大抵はリュックを背負って東北を野宿して、徐々に帰省する。だから、青森の森の青(藍)さに感激したり、萎びた温泉宿で山道を歩いた汗を流したりと、気楽な帰省旅になる。
青森の地名は実に面白い。
一戸(いちのへ)から始まって、二戸、三戸……九戸、と「十」まである。そう、「十」は十和田だ。昔の戸来(へらい)村は、今は、新郷村。そこには、キリスト伝説があった。温泉のなかにあったマリア像が妙にこころに残った。古代史というのは謎深い部分をふくむものだ。 地名ひとつとっても意味深い。そんな楽しい帰省だった。今は昔。