■無駄をしないキャラ
年齢を重ねると必然「キャラが立ってくる」。アクが強くなる。渋くなる。多くの人に受け入れられない「個性」のことだ。デザインでは尖がる(トンガル)という。尖がっているデザインは販売上の間口を狭くする。
さて、キャラのはなし。
自分の生きてきた時間に自信がでてくる、確固たるキャリアがある。だから、時に他人の意見は余計なノイズとなる。サラリーマン時間と違う個人時間で稼ぐヒトはキャラが立つ。芸術系やデザイン系など、自分のスキルで生きてきたキャラだ。眉間の皴、ウェーブのかかった白髪。少し暗く深みのある瞳。どっしりとした視線。キリッとした口元。沢山の一流に触れてきたオーラ。モノやコトを全てファッションとする生き方。
カネにもモノにも食にも特段の興味はない。
が、中途半端ができない、変な「こだわり」だけが底辺にできてしまっている。
「こだわる」というのは目利きの結果のスタイルだ。「粋」にもつながっている。
同時に無駄なことが嫌いになる。
無駄なことを繰り返し、時間を費やし、何も感じないヒトもいる。無駄をしている本人は無駄とは思っていない。無駄が分からんのだ。分からない人間に何を言っても無駄だ(笑)。教えるべき価値や意味というのは、頭で考える所作で、その基盤は性格とも関係するから、基盤がない(理解力がない)のに、その頭で判断できることはない。このジレンマがついてまわる。外的な強いショックがない限り「分かる」ことはないのだ。
多様性とは違う、多様性はそれぞれの生き方や属性にリスペクトを伴う。が、無駄をするヒトは生き方でもなく、属性でもなく、成り行きであって思考が伴わない。
モノを整理していると、ネクタイがたくさん出てくる。もう二度としないだろうなぁ、こう思って「捨てる」。モノは自分の延長で自分の一部と思っていた時代が終わった。特にネクタイはスーツとの相性、結果としての「自分らしさ」だった。これも時代の変化。
モノを味方にしなくても自分がある。カネを味方にしなくても自分がある。
コトはどうだ。コトがなくても、人間力(人望:穏やかな優しさ)があれば、それでいいと思う。コトは「経営哲学」、「生き方」。
無駄をしている余裕などない。
ずる賢い、計算高いのが一番の悪だ。同じく、何も考えない(成り行き)のも、それに匹敵する。多少の好き嫌いはあってもいいのだが、公平性がないのもいけない。
経営者として、毎年、モノサシを考えるのだが、今年はそんなことを考えた。
つまり、今年のポイントはブレない【芯】である。
◇付録
電話が鳴って、新年早々ビッグなプロジェクトの相談があった。業務フローだけでも見て欲しいとのことだ。が、即座にお断りした。出来ることと出来ないことが分かる。これも【芯】だ。八方美人では皴は刻めない。自分と組織(人財)の力を知っているからこそ、無駄はできない。自分の努力で解決しないコトをビジネスモデルの主体には据えられない……。