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■書くこと

 

「書くこと」は自分を高めることにつながる。

 

Slackでも、メッセージでも、「書くこと」で情報の整理ができる。

 

書きながら、自分が何を大切にしているかを再確認し、あらたに発見することもある。

 

一方、情報は氾濫しているから、どれも疑ってかかる。

情報との遭遇は、考える機会に過ぎない。

 

投稿も個人情報の開示限度に気を配り、画像などもアップすることだ。

 

危機管理とはそういうもの。

 

 

科学は疑うことで成立する学問である。

だから、寄り道に思われる道に発見があったりするわけだ。

 

 

「書く」というのは、身体的な行為でもある。

指で考えるのがキーボード時代の身体所作だ。

 

鉛筆で考えるのと、指で考えるのとでは、思考や展開が異なる。

 

 

指時代の「書く」とは、一部、反応や信号を備えた情報処理となる。

身体的な行為とは咄嗟の反応・信号における情報処理である。

虫が危険を察知するときの動きと同じだ。

 

 

身体とは、始原的な営みで判断の点で原理的ともいえる。

 

情報の少し手前で「書く」ことに慣れつつある。

 

「書く」ことは残すことでもある。

何も考えないでテーマだけで書いてみた。

 

「書く」と【情報処理】。それを考えてみた。

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