森田真生さんの「数学する身体」を読んで
数えることを当たり前のスキルと思っていた私は、この書籍を読み込みながら、軽いめまいを覚えた。
数えること自体身体的歴史のある動作とのこと。
森田さんの文章は、時間を忘れて、引き込まれてしまう魅力がある。
自分の知らない「知」がアチコチに散らばっている。
文章のテンポもいいが、構成がみごとでなめらかだ。……。
三鷹の東八道路を走っているとひときわ目立つ建物が目をひく。
「天命反転住宅(荒川修作)」、これが登場したのには驚いた。
■1.数字と形
長男が小さい頃、数字や形の遊びは日常に溢れていた。
車の助手席に座っていて、退屈なとき、前の車のナンバープレートで遊ぶ。
足し算や引き算。
トンネルを通過すると、その長さやトンネルの数や名前を記憶して後で競う。こんな具合だ。
パズルも絵柄のついた表側だけだと退屈だから、裏返して絵柄なしの「形」のみで遊ぶ。
繰り返すことで自分のものにする。発展させる。
これは勉強でもスポーツでも方法として一般化している。
人は会得とかスキルとか言いながら、頭の中にシワとして、その成功体験を刻み込む。
一方でルーチン化は老化的な所作だ。ガタや遊びがない。
卓球の世界大会をみていて、始まる前に卓球台を手でふき取る動作をして、サーブをする。
ルーチン化のひとコマだ。だが、魅力的な戦いを演じるのは意外性をもつ選手だ。
その選手はルーチンなしで、全身で感じ取り、瞬時に腕や手首の振り方を変化させる。
視点~、新しい視点。読み取る能力。記憶から引き出す能力……。