建築物の価値

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■建築物の価値

 

武蔵野市、成蹊大学前の旧赤星邸の保存記事を目にした。建築家アントニン・レーモンド氏の設計だ。

旧赤星鉄馬邸の利活用について|武蔵野市公式ホームページ (musashino.lg.jp)

レーモンド設計事務所には知り合いの建築家も所属していたことや赤星邸が会社の近所のこともあって、興味が搔き立てられた。

 

私のなかで、古い建築物の素晴らしさを思い出すことになった。

それは、イタリアのマルケ州で家具工場を視察したときの話である。

 

家具製造工場視察のあと、先方の幹部社員と一緒にディナーを食べることになり、レストランに移動した。

そのレストランは13世紀の建物を改造したものだった。

当初、石造りのイメージだったが、大きな梁が印象的な木造建築物だっただけに感慨ぶかかった。

 

モノを大切にする。これは日本以上に欧米では良く聞く話だ。

その背景には、建築物が石をベースに構成されていることもあるが、祖先を大事にし、家族のつながり、地域を誇りに家系を守る伝統がある。

欧米の家具や建物は、時間の経過とともに価値がたかまる。

日本の多くの木造建築物は柱がいくら飴色になろうとも、時間とともに価値がさがり、最後は土地代だけが残ることになる。

 

私がジブリ美術館傍の自宅を売却したとき、少し前に査定したときより、実際の査定で、1千万円下がった価格で査定価額の提示をうけた。

「どうしてですか?」

この問いに大手不動産会社の社員は

ちょうど「この間(査定1:査定2)に築後10年が過ぎ、10年保証の部分もなくなり、建物査定価格が下がりました。」こう回答してきた。

 

分かったような分からない話であったが、売却したことを思い起す。

嬉しいやら悲しいやら、【結局、即、売れた】。

買った人はとても得をしたと契約時に連呼していた。

「私の前で言わないで……」、そう心のなかで思った。

 

爾来、不動産の売却は詳細な注意と覚悟が必要だと思った。

 

日本でも、建築物のメンテ基準ができて、使うほど価値があがる建物(土地代ではなく)、時間経過とともに価値のあがる建築の時代が来て欲しいものだ。

それだけに新築時は長期展望で良い素材を選んで欲しいと考える。また、生まれた風土や家系を誇りにするつながりが最も大事だと思う。

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弁財天

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■井の頭弁財天

 

井の頭公園の池の畔にひと際鮮やかな赤が目を引く弁財天がある。

御利益は「財」と「才」。そして、「縁」。

 

その昔、井の頭公園は「別れ」の公園と呼ばれていた(今は知らない(;^_^A)。

一説によると、この女性の仏様が嫉妬して、別れさせるとの噂。

真偽を確かめる術はない。

 

最近、お化粧直しで鮮やかになったことから、この説は当面的を射ないことになるだろう。

 

この井の頭弁財天、寺院であって神社ではない。ですから、参拝もパンパンやらず、静かに合掌して祈りをささげることになる。屋根もご覧のとおり神社特有の千木などない。

 

さて、弁財天で有名なのは、お市の方。信長の妹で浅井長政の正室である。三人の娘がいずれも歴史に登場する。長政が信長に敗れるとき逃れ、本能寺の変の後に柴田勝家に嫁ぎ、豊臣に滅ぼされ自害したお市から、豊臣に庇護され後の淀殿になった、茶々。このとき手渡されたのが弁財天像だ。琵琶湖の弁財天を主寺とする浅井家の本尊。

 

そして、大阪城落城の際に淀殿から妹の初へ。そして、後の徳川家に入る三女のお江。そのお江の5女で武家出身では初めての朝廷に嫁いだお市の方の孫にあたる和子(まさこ)。東福門院和子によって、淀殿とお江によって建立された養源院で豊臣家の供養、浅井家縁の人々の供養がなされている。歴史の巡りでしょうか。

 

歴史舞台を駆け巡った女性たちの戦い、その彼女らを守護してきた弁財天。公園の中でも異才を放つ建物だ。

 

お天気の良い日に金運アップと縁結びのスポット、井の頭弁財天に足を運んでみてください。

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高層ビルの出来事

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NY エンパイア・ステート・ビルディング

 

1931年に竣工したマンハッタンの超高層ビル。展望台から望む360度大パノラマは圧巻の一言だ。眼下に見下ろすニューヨークの市街、ハドソン川、海に浮かぶ貨物船、飛び立つ飛行機……アール・デコのクライスラービル……。

 

しかし、私は眺望以上に強く感じたことがあった。

 

一足目にずっしりと建物の硬さが身体に響いた。時代を支える剛柔な「鉄」・「鉄骨」の素晴らしさが全身に伝わってくる。同じ電波塔であるエッフェル塔もさることながら、世界都市NYに威風堂々と聳え立つこのビルは人類の技術の象徴である。1931年か……。凄いの一言。この頃はTOWERのゲーム企画に携わっていなかったから、エレベータの評価はしなかったのが残念でならない。

 

エレベータの評価といえば、上海の高層ホテルにエレベータ評価を目的に宿泊したことがある。72時間以内ならビザ不要の時代、週末の時間を利用して訪問した。エレベータと中国語のキーボード入力操作を評価したかったからだ。螺旋形状の美しい吹抜、見下ろす1階ラウンジのミニチュア模型のような可愛らしいジャズバンド。遠くで奏でるサックスの反響音。それらの景色を横目にエレベータを降り、ホテルから本格中華を楽しみに外に出た直後、足の親指がズキンと痛くなり動けなくなった。仕方なく出てきたばかりのホテルの部屋に戻った。

 

72階の部屋のドアを開けると、ボーイ風の男が室内にいて、私のスーツケースを開けていた。ビックリだ。この一流ホテルで……「何している?」

 

ボーイ風の男:「掃除に来ました」

私:「スーツケースの中は掃除しないでくれ!」

男は勢いよく部屋を飛び出した、足の親指の疼きはなくなっていた。が、追う気にはなれない。あきれた話だ。

 

結局、中国における「エレベータ」と「キーボード」の評価が、「ホテル」の評価まで発展してしまった。あれから上海を訪れていない。

写真はアブダビで宿泊したホテル外観。

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金具など

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昔、形の文化会の会員だったこともあり、ちょっとした町のなかの標識とか家のドアやマンホールのデザインが気になってしまいます。

えっ、何!?

こう言われるかもしれませんが、お好きな方は楽しんでください。いくつか挙げます。

どれがお好きですか?

 

他にも駅の機械(時間を打刻する)、お店の案内板、ミラノの水道など、楽しいです!

それから、石が好きです。

石の積み方や使い方です。

 

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ルーブル・アブダビ

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建築関連を生業にする以上、有名な建物空間を肌で感じることは大切です。そのこともあり、帰りにエティハド航空だったので、アブダビに寄ってきました。目的はルーブル・アブダビの建物の見学とダヴィンチの作品です。ダヴィンチは1作は確認できましたが、目的だった「救世主」は9月公開とのことで、鑑賞できませんでした。

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プリツカー賞受賞のジャン・ヌーヴェルが設計したミュージアムシティ(アラブメディナ)は、複雑な幾何学模様にちりばめた約8,000個のメタル製の星で構成されたドーム。

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星々の隙間から光が差し込むと、「レイン・オブ・ライト」(光の雨)が降りそそぎます。本当に見事でした。作品は一流作品が揃っています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの作品も近くで観ることができます

P1060216

P1060220

imageパレスも美しいです。

オイルマネーから一流作品につながっているのですね。

いずれ石油が出なくても、観光立国として将来成り立つようにとの思いのようです。

500億円の救世主、またの機会にします。エティハド航空のサービス、質がいいですね、パフォーマンスのいい航空会社でした。外気温が43度ぐらいでした。あまり外歩いている人いません。湿度が無い分いいですけど・・、暑いです。

 

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京都風情

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門構え、家の入口というのは全てを表しています。京都の路地や構えはどうですか? 味わい深いですね。潜っただけで美味しさが滲みでてきます。格子や土壁の良い風合いがなんとも言えません。八坂、祇園の風景でした。

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圓徳院(お抹茶・お庭)

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秀吉に切腹を命じられた千利休。その原因については諸説あるようだが、真相は不明。しかしながら、神様、仏様、秀吉様。

茶碗の蓋になっていた圓徳院お点前の扇子には桐紋と菊紋が重なるように印刷されていました。

お庭

庭は賢庭(けんてい)という天下一の石組みの名手が秀吉が全国の大名に寄進させた素晴らしい石を立体的に組みあげた奥深い枯山水。

秀吉公ゆかりの神仏の献茶点前

鉄釉がきれいな色艶となった天目茶碗を使ったお手前。利休没後、秀吉が古田織部に「利休を超える武士の茶を創造せよ」と命じて考案された武家茶のルーツ。神仏への献茶作法から、息がかからないように茶碗を扇子で覆う。

ぐらぐらと揺れる不安定な高台にもかかわらず、手際よくお茶をたてて下さいました。お見事です。お茶菓子は秀吉の好きな金箔がのった馬印千成瓢箪のきんつば。風に紅葉が揺れ、雨の雫が苔の上をすべる石組みの空間を目の前に、武家茶らしく、戦場のひと時をイメージできる椅子に掛けて作法もなく、自分流で自然と一体となって頂くお茶。

茶室

北庭から草履に履き替え、石の上をわたってにじり口に。茶室では平等の利休。にじり口から中にはいる様は、まさに腰を折り曲げ頭をひくくして、膝からゆっくりとじりじり入る格好。刀をはずし裸になって人間として茶の湯に面する空間が待っている。茶室は3畳と少しの間です。

日々是好日

中に入ると、光は自然光のみ。掛け軸には「日々是好日」。是非、400年前の日本で最も権力を持ちながら諸大名に慕われた女性「ねねサロン」。

皆様も味わって下さい。

 

 

 

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圓徳院(襖絵)

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P1040792京・東山

秀吉の没後、その正室北政所・「ねね」が高台院の号をいただき思い出の地伏見から庭園を移築、19年間移り住み終焉の地となった圓徳院(えんとくいん)。

そこには戦国乱世を生き抜き「ねね」を慕い集った大名、禅僧、茶人、画家、歌人、陶芸家など桃山文化の豪華絢爛の足跡がくっきりと残っています。

雨模様の薄暗さだったため、正門が圓徳の文字が読みづらいのですが。。。長屋門スタイルでした。

白龍

P1040796

今回は襖絵、書かん、お茶、庭などをビジュアルにお届けします。最初は襖絵です。

赤松燎画伯 遺作の「白龍」。迫力満点です。荒れ狂う戦国の波濤に身を任せ、天の一点を狙いすませた鋭い眼光を放ち、一気に駆け上る龍。まさに乱世を己の力でねじ伏せた秀吉の荒々しさを感じ取ることができる襖絵です。P1040795

 

P1040800.jpg

 

●重要文化財

撮影が下手でした、ガラスの映り込みが激しく見づらいのですが、国の重要文化財で長谷川等伯 作の「冬の絵」部分です。桐の紋柄を配置した唐紙の上に描かれています。

 

雪月花

 

P1040799志村正画伯 作の雪月花図の襖です。綺羅びやかな時代が読み取れますね。

P1040802松竹梅

こちらは木下育應画伯 作の松竹梅、拡大してみました。とても、優雅な描き方です。

建物配置のなかに見ると全体の空間の中で建物構造のなかで竹の緑がとても鮮やかに見えます。

P1040805

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修学院離宮

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P1040604P1040598

日曜日にブラリと京都に出かけました。いくつかの建物を見てきましたので、書いてみます。

  • 修学院離宮

<寿月観>

後水尾上皇直筆の扁額「寿月観」

P1040600

襖に描かれた絵、虎渓三笑(こけいさんしょう)があります。

虎渓三笑:儒、仏、道の三賢者が一同に合して話をしたところ、お互いにつきない興味を感じ、すっかり夢中になってしまったという故事

 

<客殿>

一の間にある高さを変えて設置された5枚の欅板、霞が棚引くさまを表した霞棚です。桂離宮の桂棚、醍醐寺の醍醐棚とあわせて、天下三名棚のひとつです。

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まるで飛び出るかのような鯉の絵、網がかけられていて、出入りができるように網に綻びがあります。

欄干の造作が網を投げたようなきれいな網柄となっています。

<隣雲亭>

離宮内の最も高いところに位置するのが上御茶屋隣雲亭(りんうんてい)です。シンプルに縁に腰かけて眺めを楽しむところのようです。この建物は1677年に焼失したため、1824年に再建されています。特に装飾性がなく、こけら葺、入母屋造です。三和土に埋め込まれた赤と黒の小石「一二三石(ひふみいし)」です。

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<窮𨗉亭(きゅうすいてい)>

人工池・浴龍池(よくりゅうち)の岩山に建てられています。造営された当初の建物らしいです。四方の板をはずすと、オープンな間が現れるとのことでした。

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<千歳橋>

石の橋台に橋板をわたし、宝形と寄棟づくりの屋根をかけた屋形橋です。宝形の屋根には鳳凰が置かれています。

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