数学する身体3

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■5.計算する機械

 

言わずと知れた「アラン・チューリング」

コンピュータの船出は、この数学者から~。

数学する身体にチューリングのことが登場。

若いころに読んだ「チューリング・マシン…」についての書籍内容を少しずつ思い出した。

今なら「精霊の箱」。

 

森田氏の言葉を参考に……。 ↓

現在のパソコンやスマートフォンは、チューリングの発想から生まれている。

プログラムとデータの融合の瞬間でもある。オラクル:このとき生まれた言葉である。

コンピュータ世界の進化は皮肉にも戦争だ。

私が初めて学んだ高級(?)言語のCORALもビット操作が可能で、

戦争の弾道弾の動きを計算するためのイギリスで開発された言語だった。

 

ナチスドイツの「エニグマ暗号」の「鍵」を解き放したチューリング。

現在の「人工知能」の入り口、経験から学べる(学習する)機械モデルの発想も彼の偉業である。

 

「人間の数学的思考は、ほかのあらゆる思考がそうであるように、脳と身体と環境の間を横断している。

脳の中だけを見ていても、あるいは身体の動きだけを見ていても、そこに数学はない。……」

 

素晴らしい言葉の綴りである、感激がこの書籍のなかにキラキラと埋め込まれている。

是非、読んでみてください。

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数学する身体2

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■森田真生さんの「数学する身体」を読んで

 

■2.リソースとノイズの境界

 

いつから、フィルタリングで決められた情報のみを抽出するようになったのだろう。

多様性を語るわりに、特定している人類。リソースは役立つがノイズは役立たない発想だ。

ノイズがあるからこそ、リソースが成立するとしたら、あるいは、グラデーションとしてのつながりの関係だとしたら、排除するデジタルな閾値は見出し難い。

アナログレコードの復権はノイズの見直しの狼煙だ。柔らかさ、安心感、グラデーションならではの音質。

 

社員評価の難しさを痛感するのは、公平な基準が難しいこと。

貢献という二文字の詳細化がリソース的であることにある。

 

万一、ノイズ的な社員が違う面で貢献しているとしたら、どう評価するのが良いのだろう。

評価主体が上司というのも胡散臭い。

 

悩みは尽きない。

 

■3.「17」と「18」

 

どちらの数字が魅力的か

 

数学者は居酒屋などの下足箱の番号としては「17」などの素数を好むらしい。素数の下足箱から使われていくとのこと。

 

圧倒的に特別な数字だから。構成的に「18」は4パターンも存在する。2*9、3*6。

「17」「17」のみ。

エヘン! どうだい俺様。

個性に溢れる素数たち。

 

数字を「味わう」。無限にある素数の魅力。

 

■4.建築空間・荒川修作

 

「数学が生成する「建築」は、単に人間の精神を囲い込む安住の空間ではない。

それは、絶えず住人に働きかけ、変容を迫りながら、同時にそこに住むものによってつくりかえられる。…… 」

永遠に死なない人間、その存在を考えた荒川の抗う(あらがう)企て。

彼は既成概念を壊すクリエイティビティのヒト。

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数学する身体

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森田真生さんの「数学する身体」を読んで

 

数えることを当たり前のスキルと思っていた私は、この書籍を読み込みながら、軽いめまいを覚えた。

数えること自体身体的歴史のある動作とのこと。

森田さんの文章は、時間を忘れて、引き込まれてしまう魅力がある。

自分の知らない「知」がアチコチに散らばっている。

文章のテンポもいいが、構成がみごとでなめらかだ。……。

三鷹の東八道路を走っているとひときわ目立つ建物が目をひく。

「天命反転住宅(荒川修作)」、これが登場したのには驚いた。

 

■1.数字と形

 

長男が小さい頃、数字や形の遊びは日常に溢れていた。

車の助手席に座っていて、退屈なとき、前の車のナンバープレートで遊ぶ。

足し算や引き算。

トンネルを通過すると、その長さやトンネルの数や名前を記憶して後で競う。こんな具合だ。

 

パズルも絵柄のついた表側だけだと退屈だから、裏返して絵柄なしの「形」のみで遊ぶ。

 

繰り返すことで自分のものにする。発展させる。

これは勉強でもスポーツでも方法として一般化している。

人は会得とかスキルとか言いながら、頭の中にシワとして、その成功体験を刻み込む。

一方でルーチン化は老化的な所作だ。ガタや遊びがない。

卓球の世界大会をみていて、始まる前に卓球台を手でふき取る動作をして、サーブをする。

ルーチン化のひとコマだ。だが、魅力的な戦いを演じるのは意外性をもつ選手だ。

その選手はルーチンなしで、全身で感じ取り、瞬時に腕や手首の振り方を変化させる。

 

視点~、新しい視点。読み取る能力。記憶から引き出す能力……。

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深く考える、深く

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■深く

 

深く考える【深く】:カテゴライズ(階層化)した項目別に、深くだから、掘り下げることだ。その方法は、原因(どうして?)を追究し、一つずつ具体的な施策を実行すること。

 

B-2)情報の精度と鮮度をあげる

どうして、現状把握をしないのか?

・過去の購入者へのアプローチをする

どうして買わなくなったのか?

・どこから買っているのか?

どうしてチェンジしたのか?

・原因をしることで対策がうてる

 

B-3)営業は誰がどのように担っているのか?

B-4)情報を共有して対策をうつ会議をどのくらいやっているのか?

B-5)購入解析とはどうあるべきか?

 

……

 ※深く考える、深さについて、少し書いてみた。

ただ、引っかかっていることがある。

コピーライターの荒木俊哉氏の 瞬時に「言語化できる人」が、うまくいく。

この「瞬時に」が引っかかっている。つまり、「深さ」は言語化の「速さ」だという。

言葉にするのが大切で、伝えるのは次だという。

メモ書きを2分でトレーニングするのはそのためと書いてあった。訓練で力はつくと。

ここが「伝える」と「言葉にする」の境界において、私が間違っている部分かもしれない、こう考えはじめた。

ということは、一気に最奥に達して、ポイントを得た回答が訓練によってできることになる。

斜めの線が不要になるわけだ。

マジか……(笑)

 

仕事の評価は、「どう言うか」より「何を言うか」

どう言うか:伝え方

何を言うか:言語化力

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牧野富太郎

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クリスティーズ(CHRISTYS‘の帽子)だろうか?

山に入り植物を調べるときにも、紳士のいでたち(スーツ、蝶ネクタイ、帽子スタイル)で植物たちに敬意をもって接した植物学の父「牧野富太郎」

 

彼は小学校中退で東京大学講師。

「博学」の力はすごい、それだけでなく、人柄として魅力にあふれていたことが想像に難くない。

「博学」というのは、山のこと。植物のこと。

 

土佐人らしい、真っすぐな情熱が植物に向けられたわけだ。

「雑草という草」はない。

「自然はわたしたちにとって得がたい教師です。……」

 

観葉植物を前に牧野富太郎なら、どう考えて、何を手にするだろう?

ぼんやり頭に浮かんだ。

恐らく、このように鉢植えではなく、ゾーンを切って、野の花や沢山のヤマトグサなどの多年草で、さりげない庭にするだろうなぁ~

 

好きこそモノの上手、スケッチも上手だ。

 

私もエクステリアガーデンが好きだ。

ターシャの庭のようなワイルドガーデンづくりを検討したこともあるが、なかなか現実のハードルは高いものがある。

 

何かに打ち込む、その点では、経営も庭造りに相通じるものがある。

育てる、美しいものに仕上げる

そう考えている。生き物だから。

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ガストン・バシュラール

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■焔

 

紅蓮(ぐれん)ではなく、静かな揺らぎの

 

台所の「火」のはなしで思い出したことがある。

 

若いころ読んだ「蠟燭の焔」という書籍だ。これは、美術における想像力とは何だ? この点で学んだことになる。フランスの哲学者、ガストン・バシュラールの作だったと思う。

 

1本の蝋燭から、哲学的・原始的、想像的な論旨を展開する。

驚いたのは、観察眼である。

 

その眼からの情報を「知」につなぎ、言葉を表出する。

翻訳の精度は評価できなかったが、強烈に印象にのこった哲学書のひとつだ。

 

「火」、「炎」、「焔」

単なる燃え上がる炎にくらべて、情念など、意図をもった焔。

 

確かに、精霊的である。水、土、火、空気・・、四大元素というか、

そのような展開もあったように記憶する。炎を解析した私の知るかぎり数少ない傑作だ。彼の著作で有名なのは、「水と夢」感性的・imaginationな著作である。

 

 

私たちの身体記憶には、炎や火に対して、原始的に細胞レベルでの記憶があるように思えてならない。

暖炉の前に座ると、とても落ち着き、心が和む。ストレスがスッと抜けて、安らぐ。こんな経験ありますよね~。と一体化し、時計の針がグーンと遡り、太古の自分の細胞が蘇るような感覚。

 

ネアンデルタール人からホモサピエンスの「T」。

このDNAの画期的な変化のレベルまで、私の感覚は研ぎ澄まされる。

IHじゃ、がないか(笑)~

 

大げさかなぁ~ (笑)

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オンオフ

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気にしない習慣(内藤誼人)

 

これを読んでみた(‘◇’)ゞ

このタイトルの本を読むこと自体「気にしている」証拠かなぁ、と思いつつ、読んだ。

 

「心の重荷を軽くしたい」この気分からだ。

重荷を持っているのか? こう問われるだろう(笑)けど。

 

不満や不平、ブツブツ人はお金持ちになれない。その行為でお金は逃げていく。

なんとなく分かるかなぁ~。同感!

何も考えないのも、それに匹敵するからややこしい。

 

「良い週末を!」、このフレーズは爽やかだ。

だが、この作者がいうには、日常とそん色ない内容で過ごすのが良いという。

私は土日も働くことが多いので、土日も平日も変わらないから、ピッタリ収まっているのだが・・・、オンオフなくていいのか?!

 

余裕があって、少し日常と非日常の段差を低くするというは良いと思うが、全く同じというのも心の余裕を失う。

 

体内の【サーカディアンリズム(24時間周期で動いている体内時計のようなもの)】を崩さない方がキツイ思いをしないとのこと。完全なオフではなく、

【ちょっとオフのススメ】でした。

 

そうそう、井の頭公園の西はずれにナザレ修道院がある。

建築家 吉村順三の作品。

祈りの空間は「静寂空間」である。静寂は、自分だけの時がしずかにそっと流れる。その余白には誰も入り込むことができない。

ゆっくり、そして、静寂のなかで自己と向き合い、少しの欲望やプライドをそぎ落すと、オフの質的な意味が高まり、

さらに、ユトリが生まれる気がしてならない。出不精解消で15分ほど歩いてみるか(笑)。

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フェルミ推定

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寒い朝ですね。大昔設計した電力供給システムでケーブルの凍結による電源供給ルートのチェンジとか、

そのようなインフラシステムの設計を思い出しました。

今朝、どれだけの電車が遅延しているのだろう、これをすぐに答えるロジックなど、寝ぼけながら考えていました(笑)。

とのことで、推定のこと

「フェルミ推定」は日常の考えを進めるのに大変役立つ計算テクニックだ。

しかも、面白い。

 

【大雑把に正しい】、このことが重要な局面は多い。

同じく、アプローチの仕方の個別性にその人なりが出てくるから楽しい。

 

入社試験で

◇エジプトのピラミッドの重さは?

こう質問されたらどうしますか?

で、~この答を出すのが簡単になるわけだ。

 

私が最初にフェルミ的なアプローチの重要性に気が付いたのは、上場企業の役員会での質問攻めからだ。訳分からない質問を的確に答えるためには、基本的な数字を全ておさえたうえで、瞬時に加減乗除するスキルを身に着ける必要があった。コンピュータも風邪を引くのか? (ウィルスにかかった)、この質問は論外だったが(笑)

 

業界の数字:日本におけるハウスメーカーの着工棟数、在来工法とのシェア違い。棟数推移、地域別作業単価、家を建てるヒトの年代、などの基盤となる数値だ。

それから会社固有の数値:社員数、展示場の数、情報処理を対象とするアイテムの数、1棟あたりの平均部品数、情報処理社員の平均時間単価……などなど。

これらが基礎情報として分かると、あとは問題へのアプローチ方法だ。

 

◇「1棟あたりの情報処理時間とコストはどうなっているのか?」

◇「なぜ、そうなのか?」

◇「他社はどうなっている?」

……

経営者の疑問は延々と続く……。

 

そこで、信頼を勝ち取るには「フェルミ推定」の出番だ。

ぴったり一致する必要などない、①大雑把に正しい、それと②アプローチに説得力がある、この2点が大切。

 

日本の住宅着工件数が年間100万件あったとする、そのうちの30%が持ち家(注文住宅)だとして、在来工法に比してハウスメーカーのシェアが20%。そのうちの10%がA社のシェア。

A社の平均工期が6か月だとして、全体の現場の工程が部品供給の問題で各7日遅れたら損失はいくらか?

現場の平均作業時間単価は時給4000円。

次に対策案として、現在の現場の数と見える化のコストは?

これを瞬時に計算して会話をする、このスキルがないと事業部長はやっていけない、やってはいけないかなぁ~。

 

 

フェルミの問題は一見厄介なのが多い。

エッ、そんなのどうして分かるの? 的なものが~

 

◇この1冊のなかにある単語の数は?

◇高校生が3年間で消費するシャーペンの芯の本数は?

◇現在飛んでいる飛行機の数は?

……

こうした問題をこたえる醍醐味は役員会での質問攻めから生まれた(個人史)(^_-)-☆

 

最初は、資料が億単位で見慣れない数字だったから、ゼロの数を数えている余裕がない。

で、1万*1万で億との発想になり、1000人の社員に10万円の決算賞与を出す場合の総額費用は? こういう簡単な問題から始まった。桁をずらして、1億と即座に出る。

続いて、その時の税金の減額と効果は?

( ^ω^)・・・

徐々に難解な問題も解けるようになるのが、フェルミの素晴らしいところだ。

◇新商品で屋根パネルが1000枚増えると情報処理コストがいくらかかるか?

 

「世界の猫は何匹?」

ロブ・イースタウェイ

この本を読みながら、思ったことでした~

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風土遺伝子

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誰かの役に立ってはじめて「自分の存在意味」がでてくる、ちょっと、恰好をつけたかもしれない。

 

このスタンスを軸にもっているつもりだが、そう簡単ではない。

いつも私的な欲望や願望がチョロリと顔をだしてくる。($・・)/~~~

 

だから、点検が必要になる、チェックポイントは何か?

「相手の立場なのか?」、「公平なのか?」……

 

出身地の作家ということで、三浦綾子さんの代表作である「氷点」、「塩狩峠」を休日に読んでみた。

ちょうど、名寄(高校時代)から旭川(今の実家)の路線が舞台であり、地名とか季節とか、言葉づかいが肌で分かった。独特の歴史風土が共通の環境にあるわけだ。

 

さて、凄い創造力と描写力だと思った。随所に作家自身の実体験と詳細調査した専門用語をキラキラと散りばめて、流れとしては、丁寧で上手なものだ。しかしながら、前提が聖書のフレーズが各書籍の基盤に存在していて、そのことを伝えるための書籍になっていた。

 

こうした作家の作品の読み方は、最初からしばらく読んで、最後の数十ページを読む、そして、中火で中パッパ。こういう読書術になる。

これでもかという具合の修飾子合戦が続くとずっしり重くなるからだ。

 

で、「汝の敵を愛せよ」といったテーマで描くにしても、軽く、相手を思いやるというのとは、根本的に違う展開をシナリオ化していることに度肝を抜かされる。

もともとが深い理解の発想だからに違いない。

 

が、残念ながら凡人の「私」に置き換えることは距離があってできない。

 

やはり、軽く誰かを思いやるとか、自分の存在を確認するとか、

自己責任とリスペクトとか、そういう常人のレベルが私には分かりやすいと思った。

 

久々の読書感想でした(笑)

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