■感動の雪景色
私には、言葉に表せない絶句した感動の雪景色の体験があります。
感激の景色といえば、ブダペストの丘の上から見た景色もその一つです。見渡す限りの平野に這うように滔々と流れる雄大なドナウ、荘厳な彫刻が施された橋。その先に広がる美しい教会の塔や赤い屋根屋根、古い石造りの街並み、十字軍の兵士が見たであろう景色、歴史を超えて、いつまでも眺めることができます。この美しさは、丘に登るたび、季節や時を変えて、楽しむことができます。
しかし、自然界のこころに残る景色はそうはいきません。
自然界のそれは、その時の自然条件や観る側の心をも映し出し、唯一無二の壮大な情景となるからです。
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雪を跳ねあげ力強く走るディーゼル機関車、函館本線の特急おおぞら、北斗だったか……。
その車窓からの眺めのこと(学生時代の帰省)。
それは、ピーンと張った空気にかすむ遠い山々からすぐ近くの樹木にいたるまで、音を消してシンシンと積もった雪に覆われたキャンバス。
氷の華を咲かせたガラス窓の額縁は白銀一色。樹木は15cmほどのベビースノーの綿帽子をかぶり、ふんわりしています。
時折、突風と雪の重さに負けて、フワっとドミノ的に舞い飛ぶ銀花、とてもモノクロームで静かな銀世界です。
そこに生まれて間もないあたたかいオレンジの光が遠くの墨色を残した山あいにユラっと大気を揺らし顔をのぞかせます。
白というより、遠慮がちな少しオレンジを帯びた光。その光は、空のスターダストをも引き込み、すぐに遠くのオレンジが近くまで押し寄せ、
サーモンゴールドとホワイトパールが織りなす天使のような、まばゆい輝き、雪の結晶のキラキラをまとった世界に変貌を遂げます。
この場にクロード・モネがいたなら描いたであろう圧倒的な絵画の世界を演出します。
このわずかな時間の雪と光の情景は、自由で秩序ある解放された優しさを放ち、
枝葉に積もった陰の部分が雪灯の不透明を残し、力強い立体感でキラキラの結晶をさらに変化させていきます。
画角いっぱいに雪と光の双方が共振・共鳴し、渾身の1枚となるのです。
おそらくは、気温、湿度、風、雪質など、全ての条件が整って、波長の長い暖色の光を伴い、雪の粒々の隙間での乱反射の重なりが生んだメルヘンの世界でしょう。
ディーゼル音が一段と大きくなり、突然、その雪景色はやってきて、すぐに、ちょっと寂しげな、いつもの冬の北国の太陽に戻ってしまいます。
その忘れられない最高の景色は、一体何が起こったのだろう、と、見るものの魂を揺さぶり、疲れ切った身体を癒し、時の流れを止め、ただ茫然とディーゼル列車ごと、雪原に飲み込み、人々を大自然の一部に溶け込ませます。
その自然と一体となった空間が見るものの血流となって体内を駆け巡るのです。
まさに、母なる大地。
そして、天上界からの神々しい祝福の瞬間。
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上野から、特急寝台列車に乗り、終着青森。
雪のパラつく中、ジャンジャンと銅羅(ドラ)を響かせ、青函連絡船で函館。
夜明け前の漆黒の闇を誰もが小走りに白い息を吐きながら先を争うように、雪が凍り付いた油の臭いがするディーゼル機関車に乗り込んで、さらに北を目指します。慌ただしく出発した機関車が、少し走ったかと思うと、ゆったりカーブを切って、大沼公園に差しかかる手前の山中での出来事です。
ちょうど、杉本博司さんが小田原の江の浦測候所を作るきっかけになった、真鶴からのカーブ、海、斜面の話がありますが、
私にとって、それに匹敵する最高の雪景色の話になります。
かと言って、それを切り取って、キャンバスに収められない心象。
あるいは、スマホの無かった時代の悲しさ(もしかしたら喜び)。
高校の美術教師になった先輩と東京や北陸の重たくべっとりした黒い雪をアトリエで議論した学生時代には登場しなかった雪の色だったので、おそらく、その後の一コマだったのでしょう。