動物園

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■井の頭動物園

 

井の頭公園というと、公園のイメージが強いのですが、実は動物園(植物園)も人気です。下の子が動物大好きで、多い年は年に20回も二人で園に通っていました。ダブルヘッダーで家に戻ってしばらくしたら、また、行きたいということもあったぐらいです。

 

像の【花子】は有名ですが、リスや鳥など小動物がいろいろいて楽しかったです。最高傑作は「しろふくろう」。これを被写体に写真を撮ろうとすると、いざ、シャッターの瞬間にクルリと首を180度回転させて後ろ向きになり、何を撮影したか分からなくなります。

 

何度もチャレンジしましたが、結果は同じ。

まるで、アザケ笑うように、見事にクルリと後ろ向きになります。首だけ。

 

「嗚呼、回っちゃったよ~」

この私の言葉はカメラに録音されてしまい、子供たちが、何回もこれを聞いて腹を抱えて笑うのです。それほど、私の言い回しが、スローモーションだということを初めて知りました。

ふくろうは、幸せを呼ぶと言いますが、たしかに、家じゅう笑顔になりました、納得。

意外な発見は意外な所作から、でした。

 

井の頭のはフワフワのしろふくろう、北海道のは絶滅危機のしまふくろう

これです。

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カブトムシ

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■カブトムシ

 

もし、井の頭公園でカブトムシを見かけたら、それは我が家の子孫たちだ。

 

子供が年中ぐらいのときに通ったサイエンス教室でカブトムシの雄と雌のツガイをもらった。そのツガイが、次の年に15匹ぐらいの子供たちに増えた。それから、30匹、50匹、70匹……、最初に面倒を見てから、5年間。丁寧に育てた結果、100匹ぐらいになったカブトムシたち。

 

毎週、幼虫時代は、土を新しく補充し、お掃除。このカブトムシの糞は栄養たっぷりで庭のアオハダが購入時5株の株分けだったが、12株の株分けまで成長するほど最高の飼料だった。成虫時代は、大好きな蜂蜜をあげ繁殖させた。その大きなBOXが二本になったため、親子の合作で中庭にカブトムシの家を建てた。

【ビートルズハウス】

だが、これが欠陥住宅だった(‘◇’)ゞ

隙間があったわけだ。

彼らは夜行性だから、夜中に空高く舞った。井の頭公園の空に我が家のカブトムシが飛び立ったわけだ。こっちの方が甘い蜜をフンダンに食べることができるのに……。

美味しい蜜より、初めての飛行、自由を選んだカブトムシ達。

 

その気持ち分からんでもないが……。

蕎麦を食べながら、そんな懐かしい事件を思い起した。

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お蕎麦

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私は蕎麦好きである。息子も蕎麦が大好きなので、手打ちのセットを購入して、修行に励んだこともある。朱塗りの大きなボールの湾曲を利用し、陶芸で鍛えた菊練りを繰り返す。

そこまでは良いとしよう。

 

問題はそこからだ。丁寧にのばす、パカパカ、ペラペラと裏表にすることは出来ない。その手腕は無理だ。それでも薄くのばす。二八でつなぎの小麦粉を入れても見事な細い蕎麦ができない。包丁を入れて滑らかで細いのが見た目も素敵で美味い。が、無骨な田舎蕎麦になってしまう。それでも、息子は美味い美味いと言って、3人分ぐらいタイラゲル。

 

吉祥寺にも美味しい蕎麦屋がいくつかある。

代表的なのは、穂坂、上杉、吉村、中清だ。これが四天王。だが、吉村が数年前に閉じた。いまは三つ、御三家。家の近所の【中清】には週に2度ぐらいのペースで行く。更科もいいが、十割の「きこうち」が風味よし、喉越しよし、歯ごたえよし。幸せだ。

 

江戸時代、蕎麦屋=居酒屋だっただけあって、定番の板わさ、烏賊焼、鴨焼、茄子揚げと、おつまみも揃っていて、日本酒も銘柄(而今、田酒、飛露喜……)が豊富だ。蕎麦屋で過ごすひと時が至福のときだ。

 

 

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リノベーション

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昨年から実証していたリノベーション、リフォーム事業。

少しずつ、物件が拡大しています。

リフォームはいくつか進めていますが、リノベーションで、愈々、工事完了で販売につなげる物件ができました。

弊社の強みは建材仕入、オリジナルデザインキッチン、設計支援とワンストップで工事までの前工程を長年努めてきた事業ノウハウで進められることです。

ただ相対的にコストパフォーマンスがいいというだけでなく、本当に喜んでいただけるようにフルスケルトンで新築並みの建物に仕上げています。

自分たちが買いたくなるような仕上を目標に進めてきました。

さて、案件の写真が手もとにありますので、アップいたします。

 

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寒さ(血圧アップ、成績ダウン)

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■寒さ(血圧アップ)

 

今朝の東京、チラチラと雪が舞っていました。

 

寒いと血圧が上がる。

血圧が上がると命のリスクが高まる。

 

日本一寒いところで高校生活を過ごしたが、寒いのは不得手。

ある寒い朝のこと、学校で皆が騒いでいる。同級生の船戸君の両耳が通学で凍傷にかかり、真っ黒になっていた。友人一同。真っ青。

 

座っている椅子と自身の太ももの裏に両手を挟み込み、肩に力をいれてジッとして授業の開始を待つ。ひょいと横にかかっている寒暖計を見ると、何と、氷点下29度(-29℃)寒いわけだ。校舎の中での温度だ、ギネスじゃないか?

 

次の日、命の危険を感じて下宿を出ることができない。

 

寒いということは、眼を開けるのに力が必要になる。瞬き厳禁。ヨイッショと目を見開く。湿度があるところはくっつくからだ。髪の毛は白くなる。今のような白髪ではない。凍るのだ。鼻の孔がくっつく。……。

 

とうとう不登校、文学書を布団にくるまって10冊ぐらい読み終えたころ、先生が下宿に迎えにきた。ギリギリセーフ。

 

犠牲になったのは、数学の成績。あっという間に下がる。下がったのは寒暖計の温度だけでない(-_-;)。今は血圧がバンバン上がって命の危険。

 

外気温は人生を左右するという話!

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投資のきっかけ

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■投資のきっかけは「Java」

 

格好よく、「経済」を学ぶため、と書きたいところだが、違う。

まだ、時代的にJavaが普及する前のことだ。

社内で打ち合わせが終わって、焼き肉屋で知人たちと合流。

トヨタアメリカの社員やら公認会計士やら、いろいろな方々。

 

ある方:今月、会社を設立登記するとのこと。

Java、コーヒー豆をもじった会社名。

今週中にここに振り込めば出資者になれるという。酒の席のことだから、皆、「俺も俺もだすよ!」~。賑やかなもの(-_-;)。

 

帰宅して、預金通帳に残っていた虎の子の100万円を指定口座に振り込んだ。

 

後日談

「エッ、私だけだったの~」

しかし、これが運命を分けた。

 

4年後、見事に上場。

さて、100万円はいくらになったのか? 「ラッキー、持っている」

 

結局、これが投資を始めるきっかけになった、できごと(資金ができたから)。

 

折しも時代の流れが良く、不動産金融の立ち上げ時期。まだ、法律も未整備ながら見切り発車の様相。それらのセクターに集中投資。当時、大竹慎一さんを師匠にしていたから、B/S-P/Lもきっちり分析して企業価値を分析していたが、運よく、リーマンショックの前にキャッシュ化して不動産に変えていたから、「ラッキー、持っている」

 

真っすぐ、素直に進むと「持っている」状態に遭遇できるかもしれない、という話。

※投資関連でジムロジャースに会ったが、いや、驚くべき個性。ちょっと書けない(-_-;)。

※ラッキーとの遭遇は「脳」の問題、考え方がラッキーを呼ぶ

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命びろい

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■奇跡の瞬間

 

若いころの話です。時間が経っても鮮明に蘇る記憶があります。

 

徹夜明けで箱根を越さなくてはならなくて、交通事故を起こしたことがあります。箱根の坂をブレーキなしで崖から落ちました。一瞬、居眠りしたのです。幸い、他の車を巻き込まず、単独の事故でした。

 

車は大破。買ったばかりの新車が一瞬で廃車でした。

 

奇跡的に顔面打撲、少し顔を怪我したぐらいで、逆さまになった車体の窓から脱出しました。

 

なぜ、あの箱根の曲がりくねったカーブの続く、その崖から落ちて助かったのか?

 

実は不思議なことが起こったのです。

車が宙にフワリと浮いて、そのとき目が覚めて、「ハッ」としました。

で、唯一、柔らかい土盛りしている場所があって、そこにドスンと運ばれた感じで落ちたのです。あまり、言ったことがなかったのですが、不思議な体験でした。

 

「無くなった命だと思ってしっかり」とか、

「二度めの人生」とか、

いろいろと囃し立てられました。

 

でも、その体験は凄くインパクトがあって、私の考え方が変わりました。

つまり、なるべく真っすぐ、そして、社会的に生きようと思ったのです。

 

ま、あまり、そうなっていませんが……(笑)、箱根に行くたびに思い出します。あのときの事を。

 

恐らく、超・波乱万丈の人生の十字架を背負った瞬間だったのかもしれません。

 

皆さん、そんな体験ありませんか?

 

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パテント、著作権

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■パテント

 

以前は良く出願していました。

 

一番、大きな範囲で出願したのは、緯度経度を地図上にプロットし、DBと直結させる部分でした。これが取れればチャリンチャリンだったのですが、ダメでした。GISの黎明期のことです。

 

あるいは、道路で最短経路の算出とか、寄棟屋根の簡単なかけ方ロジックとか、キーボード入力とか、出しましたね。

 

パテントや著作権で稼げるのがいいわけです。音楽や書籍の印税のように、自分のプログラムでチャリンチャリンがいいなぁ~

 

 

■著作権

 

昔はいい加減でした。平気でコピーしたりして……。

 

だが、それは間違いというのに否が応でも気づかされた事件。昭和のころです。

 

アメリカのコンピュータメーカーが新製品を発表した少しあとに、山の上の怪しい研究所の大きなシャッターのついた建屋に11トントラックがやってくる。丁寧に梱包された四角い箱。付録のソフトウェアもたっぷりだ。

 

必死で分解解析して、互換機ビジネスの展開をはかる。

だが、そのコードの意味がわからず、消せない行。デットロジックと思いつつ、消して問題が起こっては困るから、残すことになる。

 

トラップ!(そりゃ、質問されても分からないですょ~)

 

マテリアル調査、このロジックは何かを参照したのか?

誰が作ったのか?

そのSEは過去にアメリカのコンピュータメーカーのOSでアプリを開発したことのあるSEなのか?

 

……

 

この調査によって、相手のコンピュータマシンでアプリを開発したことのあるSEは国産メーカーの開発チームから外れた。

頭のなかに経験知として、知らずしらず、その方法が身についているというのが排除の理由。普及の過程には必ず何かを参考にしたりしてきたから、これは大きな出来事でした。

 

ブートストラップ、メモリ、ハードウェアレジスタ(割込)、I/Oデバイスの仕様、ミニマムの環境のみ与えられて、自分で時間管理やガーベージコレクションを作成して、アプリを動くようにしてきた時代があったから、コンピュータの動く原理が分かっているが、いまはブラックボックスが多いなぁ。

 

なんせ、高かったから、メモリとか。

だから、いかに効率良く、美しく作るか、そのお作法が重要だった。アプリの基本設計はデータ仕様とセットだったから、いまのように冗長(設計が不十分で、いきなり画面に打ち込むスタイル)には少々戸惑うことがある。

 

良いお作法は残したいです! な。

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■秘話

 

「秘」はとても怪しく謎めいた漢字だ。

油断するとズルズルと引き込まれてしまう。まさに生贄。

秘密、マル秘、秘宝……秘境……神秘、見ちゃダメなもの(儀式)に触れる、そんなイメージが湧いてきて、感覚的にドキドキする(笑)。

 

 

「これ絶対に他のヒトに言わないでね!」

「ホント、秘密だよ~」

 

こう耳打ちすると、アッという間に情報拡散・流れる。

流布したい情報は、こう流す。

ポイントは「秘」

 

様々な出来事には「秘話」が存在している。

表に出ている情報はごく一部なわけだ。また、予期せぬ突然の出来事には「秘」の香りが漂う。「なぜ?」となる。

 

最近のニュースでは日銀の黒田総裁の利上げの裏の目的など、ネット上で実しやかに語られている。これも秘話?かな。

 

さて、若いころ、アルバイトで出版企画をしたり、投資本ZAIなどに執筆したりしていた。

その一環で、漫画ネタや映画ネタなどを解説し、科学的、リーガル的な視点でどうか、みたいは企画本に関わったことがある。架空の生物であるゴジラの研究、ちびまるこちゃんの実態など、この手の書籍、いっときブームが起こっていた。

 

まぁ、軽々な【コバンザメ商法】である。

 

関係した企画した中には、もの凄い勢いで売れた書籍もある。一週間で8万部とかの記憶。

売れた(目立った)がために出版さし止め(一週間の命)を食らった。大手出版社の幹部が激怒した噂が流れた……。本家本元の顔をつぶしたとのことらしい。有名な漫画のテーマで、そのアイテムを科学的に解説した書籍だ。著作権をクリアするために、企画人は奔走し、漫画家や出版社や代理店などの許諾を取り、いざ出版。挿絵の漫画も豊富に入っていた。

 

出版=(即)中止の珍しい(力関係)出来事。これも秘話かな~

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こころざし

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■ソフトバンク、孫正義さん

 

【孫正義さんは19歳の時に

「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低で1000億円貯め、40代でひと勝負し、50代で事業を完成させ、60代で事業を後継者に引き継ぐ」

という人生50年計画】 を立てていたらしい。

 

以前の会社でのことだが、はじめて取引をしたのが、1991年頃。

ソフトウェア流通企業であり、雑誌の編集企業だった、「日本ソフトバンク」。

 

その頃出入りしていたソフトバンクの社員とソフトウェアの仕切を56%から53%にしてもらったときの立ち話。

 

最初のころ、社長がみかん箱の上に乗って、演説しました、「わが社は世界的な企業になる」、って。

皆、キョトンとしていました。  こんな話。

 

あれから、30数年。

確かに、そうなった。

グループ企業、数百社。……。

 

彼は、【ビジョン】【プライド】【社会奉仕】のヒトです。

苦労は成功の礎として生き抜いている様が良く分かります。

 

上辺だけのことがない、ポイントを信念で捉え邁進する姿。

お金の重要性とお金がお金を生む錬金性を理解している姿。

酒を飲まないけど、酒の席に座っていられる姿。

困っている人々に数百億円を拠出できる姿。

グローバルな視点でネチッコイ経営ができる姿。

真っすぐな視点……。

スピーディな日々決算。数字の把握。

……

 

78:22の「藤田田」を尊敬した天才実業家、世界の孫正義さんだ。志の大切さを教えてくれますね~

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