武蔵野

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■武蔵野市

 

事務所のある武蔵野市は、アニメと漫画に溢れている。

 

武蔵野市の最近のマンホールが以下の状態。

以下、アップで。

楽しいでしょ!

 

武蔵野うどんって、いうのもあって、美味しいですよ。

少年ジャンプ、北斗の拳のお店とかあって、楽しいですね。

 

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構造など

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最近、建物の「構造」に関する相談が多くなった。

相談をうけるほどの知識や経験があるわけではないのだが……、「構造」というと専門性が高く、難しく考えがちである。

 

住宅の場合はそうでもない。

覚える気があれば、それなりに分かるような気がしている。

 

住宅というのは、この「デザイン」で、「構造」的に正しく、「いくら」か?

 

この3つの要素である。

 

「デザイン」は、まず、外観と間取、外構である。施主の価値観と敷地選びとの関係だ。「法規」が外観や間取に影響をもたらす。

「構造」はどうだろう? 建物の重さ、部材の断面、荷重をうける壁の配置、……。「風」への備え、「地震」への備えである。

「いくら」となると、代表的には、材料や設備などの選択と手間と運搬費だ。

 

リフォーム部門の努力でリフォーム受注が堅調だ。

もともと、材料を販売している関係から、「仕入力」がある。そこに加えて、システム部門がアチコチの見積システムを開発しているから、「見積力(スピードと質)」もあるはずだ。

加えて「ベテラン社員」の「提案力(安心力)」これである。

 

リフォームの場合、構造が影響するようなケースは少ない。

「デザイン」と「いくら」がモノを言う。

そこで、「いくら」のリードオフマンである、「仕入力」と「見積力」と「提案力」が高いため、受注が堅調となるわけだ。

 

「構造」の相談の多くはシステム開発のことだ。

先日、旧知の知人と飲んでいて、構造の話で盛り上がった。

難しく考えなくても、問題が発生しない構造の仕組み。そんなところである。

 

分かり易いということは、何事においても重要である。

また、どのような質問に対しても、即答できる知識と表現力も併せて重要かな……。

 

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常に変化を診る

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暑い夏が続くと、このまま寒くならないような錯覚を持ってしまう。

状態の継続性というバイアスが脳に浸み込むのは「気候」だけではない。

だいたいが、今の状態が続くことを前提に物事を判断してしまう。

大いなる誤解は「茹でガエル」とも評されている。

 

株式市場、しかり。

企業経営、しかり。

……。

 

常に先々発生する可能性のあるリスクを考える。

軸足を一方方向に置かない所作が重要だ。

 

国民年金をあてにする時代は随分前に終了している。

自分の老後は自分自身で設計し、運営しなくてはならない時代(国家)(-_-;)。

 

60歳定年が65歳になり、いずれ70歳になるだろう。

何も国家の社会保障・福祉政策の問題だけが定年を延期させる要素になっている訳ではない。

医療の発達も手伝って、老人が元気なわけだ。元気にもかかわらず、クルーズで世界一周する資金がない。こうなると、働くことが健康維持のもととなる。

その健康が基盤となり、労働人口の変化をもたらすことになる。

 

私の小さい頃は、60歳で定年になって、70歳ぐらいになると、終の棲家を意識して、人生の終わりの準備をする。

そんなイメージが強くある。

そのせいで、老人のイメージが定年と重なっていたものだ。

が、この「定年」と「老人」が袂を違えたのは、つい最近だ。

お金と教育水準の相関関係同様に美容(若返り)もお金(手入れ)と気持ち(陽気)との関係のように思えてならない。

 

企業経営のリスクは企業の体力との関係でもある。

大きな企業が体力に勝っていると思いがちだが、これも違う。

東芝だっておかしくなる時代だ。

経営は月次の数字変化を重ねてみることで状態が即座にわかるから、面白い。

 

「変化」を診る。

健康維持も企業経営も同じだ。数字の変化に状態は現れる。微分と積分。

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人財育成

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■スポーツに学ぶ、人財育成

 

駒澤大学の駅伝三冠連覇王手は、見事としかいいようがない。

小さい頃、陸上やバスケ、サッカーといったスポーツ少年だったことから、老いた今は、駅伝観戦を楽しみにしている。この日曜日(11/5)に開催された全日本大学駅伝も楽しくテレビ観戦させてもらった。

その流れを観ながら、つくづく、どうしたら、このような選手層の厚いチーム育成ができるのだろう? そのプロセスや要素を考えていた。

ビジネスにも共通すべきことがあるからだ。

社員育成ほど、難しいことはない。そもそも、「勝利」を目標にするスポーツに比して、数多の目標をもつ、サラリーマンの基盤は多様だ。企業理念すら共有化しづらい。

簡単にいうと、企業社会は、ムチの世界では一丸となりにくい(笑)。

企業理念など、どこ吹く風。社会の役に立つとか、顧客第一など、社員一人一人の生活のなかで立ち位置を失う。

本来は【人間力】との点でスポーツとビジネスは同じはずだが、創意工夫や結果コミット責任において、中小企業は未整備だ。組織力、評価システム、モチベーションしかり。この【ブランド化】、【独自性】課題にどうアプローチするか、常々、考えることになる。

小学生にとって、早く走れることは、頭がいい子より、人気が高いことは言うまでもない。運動会で最後のプログラムになるリレーの選手はあこがれである。

このプリミティブで誰もが平等に行うことができるスポーツ、「走る」、「跳ぶ」……【陸上】。

特に、昭和の時代は混乱期でもあり、変革期・成長期でもあり、メディア不在の田舎社会においては、「走る」ことは、格好のスポーツであった。

言い換えると、それしか、やることがないのだ(-_-;)

 

駅伝力というのは、陸上競技力とは、異質のものである。確かに、1万メートルのトラック記録は参考にはなるが、大会では両者は相関を易々と裏切る。

 

さて、「全日本大学駅伝」、名称にクレームをつけるつもりはないが、熱田伊勢駅伝というのが、正解だろう。これは以前から思っていた。青学の原監督と同意見だ。日本一、日本での順位を決めるものではない。関東で予選落選した、明治大学でも法政大学でも出場したなら、10位前後の力は充分にあるからだ。

 

このように、日本一が歪んでいるイベントやランキングはたくさんある。そもそも、ランキングの母集団が皆不明だ。母数もいい加減。メディア時代だから洗脳されがちだが、偏差値が大学の学力と勘違いされているのと同じだ。

 

要は、多様性の時代だから、グルーピングやランキングにとらわれず、自分の目的意識、お気に入り、自分との相性を大切にすべきである。

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