本日、弊社のオリジナルブランドscesto+(シエスト)のキッチン、THINKAⅡの見積&カラーシミュレーションサイトがオープンになりました。
今後も、見やすく使いやすく、わかりやすいウェブサイトを目指し、改善に努めて参ります。
是非ご覧ください。
URLは下記になります。
https://scesto-kitchen.com/
今後とも変わらぬご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
本日、弊社のオリジナルブランドscesto+(シエスト)のキッチン、THINKAⅡの見積&カラーシミュレーションサイトがオープンになりました。
今後も、見やすく使いやすく、わかりやすいウェブサイトを目指し、改善に努めて参ります。
是非ご覧ください。
URLは下記になります。
https://scesto-kitchen.com/
今後とも変わらぬご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。
住宅ソリューションズの高瀬です。
本日は、6月末に開催したBBQの様子をお届け致します!
第2回となる今年は、事務所のある「吉祥寺」で行いました。
大きな塊のお肉を焼き、差し入れでいただいたさくらんぼをご馳走になり…
食べて飲んで話して、あっという間の2時間半でした。
晴天に恵まれ、暑さと闘いながらも、日頃お世話になっているメーカーの皆様と
楽しい時間を過ごすことができました。
去年に引き続き、大勢の皆様にご参加いただき、感謝致します。
記念すべき1回目は、去年 新入社員である私たちの顔合わせを兼ねた親睦会として行われました。
入社して初めてのイベントだったので、とにかく緊張して、お肉を焼くことに必死だったことを思い出します。
こうして振り返ってみると、今年は気持ちに余裕を持って楽しむことができたかなと思います。
それでは今回は、楽しさが伝わってくる2次会の写真でお別れです!
私は参加できなかったのですが、このポーズの理由が気になるところですね。。。
■失敗できない削り出し
彫刻といっても創造方法は様々です。石膏、粘土、土などをコネてペタペタと塊を組み上げる方法は足算的手法ですが、石や木などを削り込み、目的の作品に仕上げる方法は引算的です。
ミケランジェロのアプローチは言うまでもなく、大理石の塊のなかに掘り出すべき対象を見いだす引算方式です。
何年もかけて少しずつ根気よく大理石と向き合うことになります。彼は絵画にも建築にも道具作りにも卓越した才能を持っていたようです。が、あくまで「彫刻家」にこだわったことが理解できます。失敗の許されない方法での作品を作りだすからです。やり直しの効かない方式で完璧を目指す手腕。見事としか言いようがありません。西洋美術史のトップに君臨する、まさに神・芸術の世界です。
■ダヴィデ像
有名な1504年完成のフィレンツエ共和国の象徴ともいえるダヴィデ像(世界中にレプリカがあります)は、彼がまだ20歳代のころの作品です。5メートル以上ある石の塊を自ら大理石の採掘場にでむき、運び、削り出した作品です。
私はフィレンツエでレプリカを見ました。アカデミア美術館に本物を観に行く時間がなかったのが悔やまれるところです。
今回、上野で開催されている展覧会は、「ミケランジェロと理想の身体」。
目玉の作品は2点です。「ダヴィデ=アポロ」と「若き洗礼者ヨハネ」です。
写真はダヴィデ像。今回、写真撮影がOKだった「ラオコーン」、そして、ミラノで撮影した作品を掲載します。
上野公園で涼をとりつつ、ミケランジェロの芸術作品にふれて見てはいかがでしょうか?
Castello Sforzesco
イタリアミラノに行ったら、立ち寄りたいのが、ここスフォルツエスコ城です。
古いミラノにある城塞です。ミラノの名家ヴィスコンティ家にまつわる居城になります。
中庭がひろく、ここで戦いの訓練をしていたとのことです。
今は、博物館・美術館になっています。ミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」もあります。
訪れたときは、レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画は修復中で観ることができませんでした。
もともとの形は星形の大きな建造物だったようですが、いま残っているのは、その頃の規模に比べると四分の一ぐらいのようです。
外壁の堀には無造作に当時の戦いのときに使っただろう、玉というのか、大きな丸い石がありました。大砲はなかったでしょうから、これを板にのせたり、網などで落石させて攻めてくる敵を倒したのでしょうか?
ただ、歴史的に博物館の中には、古い銃がたくさん保存されていました。これなどはナポレオンとの闘いのときに使われたのかもしれません。
Gamma Arredamenti Internationalの工場を見学しました。2人の創業者から始まったイタリア、エミリア・ロマーニャ州Forliに工場がある130名の従業員をようするイタリア家具メーカーです。
写真のように、とても素敵なソファがたくさんあります。メインは時間経過とともに味わいの出る革製品です。商品の95%は革製品です。
全世界90か国あまりに出荷しています。日本ではあまり知られていませんが、品質は確かです。
工場を見学すると、温度管理された倉庫での革の保存、革の表面加工、型紙工程を経て、革への型図の書き込み、型の切り抜き、縫製、アセンブリ、出荷検査といった工程を全てヒトが手作業で行っています。
製品はサイズ、色、縫い方などのオーダーが可能です。営業責任者のAndrea-san,CEOのGabriele-san,と商談を済ませ、無事に仕入れの流れを構築できました。
企業の応接室、会議室、そして、マンションのロビーなど、大きめの空間にも対応ができます。
もちろん、少し手軽なサイズを新築を検討の段階から考えることもできます。
新居が素晴らしい出来栄えでも、普段使う家具が以前のままですと、バランスが悪い場合もあります。
住宅ローンに組み込んだり、はたまた、弊社からのリースも可能です。わずか、月々1~2万円程度で利用できるスキームも確立しています。
是非、ご興味のある方は、お問い合わせください。
イタリア直輸入の高品質な製品をじっくり日々の生活で満喫してみてください。価格的な魅力は言うまでもありません。
問い合わせ:住宅ソリューションズ株式会社
担当:北上
秀吉に切腹を命じられた千利休。その原因については諸説あるようだが、真相は不明。しかしながら、神様、仏様、秀吉様。
茶碗の蓋になっていた圓徳院お点前の扇子には桐紋と菊紋が重なるように印刷されていました。
庭は賢庭(けんてい)という天下一の石組みの名手が秀吉が全国の大名に寄進させた素晴らしい石を立体的に組みあげた奥深い枯山水。
鉄釉がきれいな色艶となった天目茶碗を使ったお手前。利休没後、秀吉が古田織部に「利休を超える武士の茶を創造せよ」と命じて考案された武家茶のルーツ。神仏への献茶作法から、息がかからないように茶碗を扇子で覆う。
ぐらぐらと揺れる不安定な高台にもかかわらず、手際よくお茶をたてて下さいました。お見事です。お茶菓子は秀吉の好きな金箔がのった馬印千成瓢箪のきんつば。風に紅葉が揺れ、雨の雫が苔の上をすべる石組みの空間を目の前に、武家茶らしく、戦場のひと時をイメージできる椅子に掛けて作法もなく、自分流で自然と一体となって頂くお茶。
北庭から草履に履き替え、石の上をわたってにじり口に。茶室では平等の利休。にじり口から中にはいる様は、まさに腰を折り曲げ頭をひくくして、膝からゆっくりとじりじり入る格好。刀をはずし裸になって人間として茶の湯に面する空間が待っている。茶室は3畳と少しの間です。
中に入ると、光は自然光のみ。掛け軸には「日々是好日」。是非、400年前の日本で最も権力を持ちながら諸大名に慕われた女性「ねねサロン」。
皆様も味わって下さい。
秀吉の没後、その正室北政所・「ねね」が高台院の号をいただき思い出の地伏見から庭園を移築、19年間移り住み終焉の地となった圓徳院(えんとくいん)。
そこには戦国乱世を生き抜き「ねね」を慕い集った大名、禅僧、茶人、画家、歌人、陶芸家など桃山文化の豪華絢爛の足跡がくっきりと残っています。
雨模様の薄暗さだったため、正門が圓徳の文字が読みづらいのですが。。。長屋門スタイルでした。
今回は襖絵、書かん、お茶、庭などをビジュアルにお届けします。最初は襖絵です。
赤松燎画伯 遺作の「白龍」。迫力満点です。荒れ狂う戦国の波濤に身を任せ、天の一点を狙いすませた鋭い眼光を放ち、一気に駆け上る龍。まさに乱世を己の力でねじ伏せた秀吉の荒々しさを感じ取ることができる襖絵です。
撮影が下手でした、ガラスの映り込みが激しく見づらいのですが、国の重要文化財で長谷川等伯 作の「冬の絵」部分です。桐の紋柄を配置した唐紙の上に描かれています。
志村正画伯 作の雪月花図の襖です。綺羅びやかな時代が読み取れますね。
こちらは木下育應画伯 作の松竹梅、拡大してみました。とても、優雅な描き方です。
建物配置のなかに見ると全体の空間の中で建物構造のなかで竹の緑がとても鮮やかに見えます。
日曜日にブラリと京都に出かけました。いくつかの建物を見てきましたので、書いてみます。
後水尾上皇直筆の扁額「寿月観」
襖に描かれた絵、虎渓三笑(こけいさんしょう)があります。
虎渓三笑:儒、仏、道の三賢者が一同に合して話をしたところ、お互いにつきない興味を感じ、すっかり夢中になってしまったという故事
一の間にある高さを変えて設置された5枚の欅板、霞が棚引くさまを表した霞棚です。桂離宮の桂棚、醍醐寺の醍醐棚とあわせて、天下三名棚のひとつです。
まるで飛び出るかのような鯉の絵、網がかけられていて、出入りができるように網に綻びがあります。
欄干の造作が網を投げたようなきれいな網柄となっています。
離宮内の最も高いところに位置するのが上御茶屋隣雲亭(りんうんてい)です。シンプルに縁に腰かけて眺めを楽しむところのようです。この建物は1677年に焼失したため、1824年に再建されています。特に装飾性がなく、こけら葺、入母屋造です。三和土に埋め込まれた赤と黒の小石「一二三石(ひふみいし)」です。
人工池・浴龍池(よくりゅうち)の岩山に建てられています。造営された当初の建物らしいです。四方の板をはずすと、オープンな間が現れるとのことでした。
石の橋台に橋板をわたし、宝形と寄棟づくりの屋根をかけた屋形橋です。宝形の屋根には鳳凰が置かれています。