■生い立ち・系譜
時の経過は「系譜」をもたらす。
歳の経過は「経験値(知)」と「老害(笑)」をもたらす。
系譜は移り変わる全てを対象とする。
植物、生物、親方・弟子、家系、コンピュータ言語、数学、企業群などなど。
今回は「大学の生い立ち」だ。
高校生が大学を選択する進路系譜もあるが、大学の系譜の一部を見てみた。
日本の有名私立大学の最初は、官立・私立の法律(旧制)専門学校である。1870-1880年代、欧米の思想がドッと日本に入り込んだ時期。法曹を目的とした学問も例外なく欧米系となる。仏系と英系(独系)に分類された。
官立の司法省法律学校(仏系)と東京大学法学部(英系)。
<仏系:司法省法学校系>
・1880年 東京法学社(法政大学)
・1881年 明治法律学校(明治大学)
<英系:東京大学法学部系>
・1881年 専修学校(専修大学)
・1882年 東京専門学校(早稲田大学)
・1885年 英吉利法律学校(中央大学)
これが五大法律学校である。
仏系においては、司法省招聘の日本近代法の父、ボアソナード(法政大学教頭)が教育にあたり、その弟子(司法官)たちが東京法学社(法政大学)や明治法律学校(明治大学)、関西法律学校(1886:関西大学)を設立。当初は法政と明治がひとつの大学になる構想もあったぐらいだ。また、法政大学と関西大学はボアソナードの影響を強く受けていた。
そもそも、この系譜への興味は、
【なぜ、法政大学と関西大学はカリキュラムの交換(国内留学制度)や伝統的な二校での陸上の対抗戦などあるのか?】
【あるいは、明治大学を含めた三校の協業がなされているのか?】であった。
つまり、これらの学校は、知の系譜兄弟であり、従妹のような大学なのだ。
余談だが、時代的に東京六大学(野球連盟)の現在の形もこうした大学(知)の系譜が横たわる。
早慶⇒早慶明⇒早慶明法⇒早慶明法立東。中央大学も候補だったが、仏系法学の法明によって、最終形の立教と東大になったと語られている。
詳細は書ききれないが、大学の系譜の一端である。